もやもやむう

もやもや考えていることをちゃんと言葉にできるようにしようと思い,自分がなんでそう思うのか(自分のなかの根拠を)考えるようにしてるわけです.


そんな日ごろの試みも空しく,自分の言いたいことを表せなくてくやしかった.
今日のゼミは先週木曜に行った卸売市場見学のフィールドノートの読み合わせだったのですよ.



フィールドノートというのは,現場(:フィールド,何の現場でもいい)に行き,そこで見聞きしたこと感じたことなどを自分なりの視点で捉え,書き下したものです.(おことわり:自分の認識がちゃんと文章に表されているか試したかったので,あえて調べてません.)



で,私の認識では,このフィールドノートってのは研究の一材料なのです.すごぉく大概にいったらメモなわけです.

その場でしか経験できない状況・感情などを,後から読んでみて思い起こし違う視点で見てみることで,また何か種(自分の興味)を発見するためのものであり,
もしサマライズされすぎてたら自分が感じた現場の状況などをまた新たに捕らえ直してみることがしづらいのではないかと思うのです.



そいで,いざ読み合わせをするときに,ドクターの人が観察をポイントごとにまとめ,そこからから自分の仮説を導き,リサーチして,結論を述べて,表紙と目次をつけたレポートを書いてきたんですよ.私の思うところのフィールドノートではなく.

で私はその人へのフィードバックとして「You should have write more in chaos」と言ったのです.しゃべったままだから文法は書き直さないとして.「should」は強すぎたなとかもまぁいいとして.

私としては上に書いてあるような認識があり,フィールドノートとしては整除されすぎているなと思ったのと,その人がフィールドノートのことをどう認識しているのか確認をしようと思って(今はこう書けるけど...)出てきた言葉だったのですが,私の認識と意図がうまく説明できなかったためにその人としては,方法だけを突っ込まれた感じになってしまったのですよ.

いや〜くやしいのう








あと.
仮説の種を見つける習慣がある人は「フィールドノート」じゃなくてそれをさらに進めさせたものでよかったのかしら.
私は「フィールドノートを書く」だと思っていたし,ゼミ自体に対する認識も,研究へのインプリケーションを言い合う場ではなく,「フィールドノート」を描かせてみて仮説の種の見つけ方を考えさせる場なのかなと思っていた.


うわわ五時だ.書き留めておきたかったから書いたけど結構かかっちゃった.